2014/12/10

分不相応という枷。

若くして着道楽などという趣味を持っておりますと、しばしば『分不相応』という言葉にぶつかります。
昔はちょっと気にしましたが、最近では全く気にしません。皆さんはいかがでしょうか。

私はこういった、イメージだけが先行して意味や内容が精査されない言葉はあまり好きではありません。
そもそも、何をもってして『分不相応』と定義するのですかね。

例えば、年収300万円で5000万円のフェラーリを買うとなったら、当然『分不相応』だと思います。
維持できないでしょうし、そもそも買う現金が無いし、ローンも通らないでしょう。

それでは、25歳で5000万円のフェラーリを買うとした場合はどうでしょう?。
この場合、買う人が自分で稼いでいるかいないか関係なしに『分不相応』と言う方もいるでしょう。
はたまた、自分で稼いでいるなら問題ないと言う方もいるはずです。

階級が分かれている社会なら話は別ですが、日本は総中流社会なわけですよね。実際のところ。
それならば、他人が言う『分不相応』なんていう、実体がよく分からない言葉に惑わされず、自分が良いと思ったものはなるべく早く手に入れるなり、経験するのがいいと思いますよ。
私みたいに、いつ大病になるか分からないですし。



年配のワインコレクターの方がいつまでたっても良いボトルを開けないときに、冗談めかしてよくこう言います。

『どんなに良いワインでも墓場まで持っていけないんですよ。どうせ死んだら遺族が二束三文で売り払いますよ。飾りじゃないんだから、飲んで楽しみましょうよ。』



私も大人ですから、世の男性たちがその周辺環境(家のローン、子供の教育費、、、)により、使えるお金が少ないことは知っています。
でも、一度きりの、誰のものでもないあなたの人生です。
一つか二つくらいは最上級の物を若いうちに手に入れて、長い時間愛でるのも良いのではないでしょうか。
だって、50代になってそろそろ『分相応』かと思って手に入れた憧れの物が全然体に合わなかったりしたら哀しいじゃないですか。

2 件のコメント:

シロ さんのコメント...

なるほど、その通り!と膝を叩いてしまいました(笑)

20代前半から"イイモノ"に魅了されて着道楽をやってきましたが
よく両親から分不相応と手痛いコメントを頂いています。
「はいはい」と空返事だけで全く言う事を聞くつもりはない訳ですが(笑)

自分のブログでも時折「分不相応」という言葉を使いますが、
kazamashunsukeさんのエントリーを読んで改めて思い返すと、
自分が「分不相応」と言う時は、それは世間へのExcuseに過ぎず
自分では全くもって「分不相応」という事を気にしていませんでした。
そうでなければ着道楽なんてやっていられません(笑)

相応かどうかではなく、
"イイモノ"が似合う人間でありたい、そうなりたい
という意識が重要、と自分に言い聞かせています。

kazamashunsuke さんのコメント...

シロさん、コメント有難うございます。

私の両親も同様です(苦笑)。
私の場合は食事や酒も『分不相応』なものを摂取しているので、うっかり「銀座で鮨を食べた」などと言おうものなら、小言を言われます。

まぁ真面目な話をすれば、男たるもの、周囲の雑音に捉われず、少し背伸びして生きるのが良いんじゃないかなと思います。
シロさんの仰る通り、成りたいものに向かう意識が重要で、それが無ければ、一生成りたいものにはなれないのではないでしょうか。(逆に言えば、人間、想像の及ぶ存在には大抵なれるんだと思います。)

仕事、洋服、靴、食事、酒、何でもそうですが一級品を若いうちに知っておくのは、その後の人生を豊かにすると思いますが、この辺りはなかなか共感は得られないでしょうね。

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