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2014/12/10

分不相応という枷。

若くして着道楽などという趣味を持っておりますと、しばしば『分不相応』という言葉にぶつかります。
昔はちょっと気にしましたが、最近では全く気にしません。皆さんはいかがでしょうか。

私はこういった、イメージだけが先行して意味や内容が精査されない言葉はあまり好きではありません。
そもそも、何をもってして『分不相応』と定義するのですかね。

例えば、年収300万円で5000万円のフェラーリを買うとなったら、当然『分不相応』だと思います。
維持できないでしょうし、そもそも買う現金が無いし、ローンも通らないでしょう。

それでは、25歳で5000万円のフェラーリを買うとした場合はどうでしょう?。
この場合、買う人が自分で稼いでいるかいないか関係なしに『分不相応』と言う方もいるでしょう。
はたまた、自分で稼いでいるなら問題ないと言う方もいるはずです。

階級が分かれている社会なら話は別ですが、日本は総中流社会なわけですよね。実際のところ。
それならば、他人が言う『分不相応』なんていう、実体がよく分からない言葉に惑わされず、自分が良いと思ったものはなるべく早く手に入れるなり、経験するのがいいと思いますよ。
私みたいに、いつ大病になるか分からないですし。



年配のワインコレクターの方がいつまでたっても良いボトルを開けないときに、冗談めかしてよくこう言います。

『どんなに良いワインでも墓場まで持っていけないんですよ。どうせ死んだら遺族が二束三文で売り払いますよ。飾りじゃないんだから、飲んで楽しみましょうよ。』



私も大人ですから、世の男性たちがその周辺環境(家のローン、子供の教育費、、、)により、使えるお金が少ないことは知っています。
でも、一度きりの、誰のものでもないあなたの人生です。
一つか二つくらいは最上級の物を若いうちに手に入れて、長い時間愛でるのも良いのではないでしょうか。
だって、50代になってそろそろ『分相応』かと思って手に入れた憧れの物が全然体に合わなかったりしたら哀しいじゃないですか。

2014/09/27

ネット上のファッション批評の不毛さ。

ネットを徘徊しておりますと、twitterやブログで『それはダサいよ』等の批判めいたコメントがあったりします。
また、自撮りなんぞをしておりますと、名が売れた方は2chなどで批判されることもあるようですね。
批判までいかなくても『そのパンツの色、ピエロみたいに見えるからやめた方が良い』とか上から目線のアドバイスコメントもあったりします。

個人的に思うのは、ファッションのセンスが分からない、顔の見えない相手からのアドバイスとか批判ってあまり意味を持たないな~という事です。
なぜなら、顔が見えない恐ろしくダサいかもしれない人が言う『そのジャケットのサイズ感間違ってるよ』という言葉と、センスに信頼がおける人が言う『そのジャケットのサイズ感間違ってるよ』という言葉の意味するところは大きく違うと思うからです。

つまり、顔の見えない状態でいくら大言壮語したところで『偉そうに言ってるけど、お前はどうなんだ?』と思われるだけの気がします。
(批判の受け手が大人なら何か言われても角の立たないように返事をしておしまいですが。)

例えば、落合正勝さんは色々書籍を出されていますが、彼のやっていた事や、着ていた服や靴を知っているからこそ、彼の言説に信頼がおけるわけですよね。

相手に何かを伝えたいのであれば、説得力が無いと全く意味がない気がします。
まぁ、違う見地から考えると、何か言われるというのは、言われた側に隙があるとも言えますけどね。
(成金丸出しの投稿とか、物を大事にしない投稿とか、言われてもしょうがないな~というものは確かにあります。)

私も着道楽歴が長いので色々と一家言は持っているつもりですし、センスにもある程度の自信はありますが、まだまだ他人の服装にケチを付けられるほど驕り高ぶれないですよ。

2014/09/20

裏地について思う。

まぁこの前書いたボタンの話と同じなんですが、今度は裏地編を。

『裏地に凝る』歴史を考えると、あるときはお金持ちが資産を隠すためだったかもしれませんし、あるときは倹約令への反抗のためだったのかもしれません。
それが時代は変わり、現代では『裏地に凝る』事が美意識として定着しているように思います。

私もお洒落に目覚めて以来、裏地に凝るのはお洒落だな~と漠然と考えていました。
トムフォード時代のグッチが出したスカジャンは裏に春画が刺繍されていていいなと思いました。
裏地がエルメスのスカーフになっているクロムハーツの革ジャンは素敵だなと思いました。

ですが、最近また色々考えるんです。
ジャケットを飲食店で脱ぐときなど裏地が見えるシーンを考えると、上記の例のような服は、裏に凝ってますという意図が“分かりやすく”伝わり過ぎるんじゃないかな~、と。
自意識が少し余分に出過ぎのような気もするんですよね。

であるならば、スーツの内ポケットの裏地だけ華やかにするなど、徹底的に分からないように裏地に凝るのも、ひねくれた美意識としてアリなんじゃないかなと思います。
裏地を派手なものに変える事が即ちお洒落だと思考停止せず、自分なりの美意識を徹底的に考える事は大事なんじゃないかな、と感じます。
『裏勝り』は粋と言われて久しいですが、現代は倹約令も何もないわけですし、『裏勝り“隠し”』という感じで、裏に凝る概念を更に進めるのもいいような気がします。

私は朝早く起きたからって何を意味の分からない事を書いているんでしょう(苦笑)。
とりあえず顔でも洗ってきます。。

2014/09/13

種明かし。

eyeのブルックスブラザーズカスタムジャケットについて。

以前の投稿にて、古いカーハートのボタンを使ってカスタムする旨を書いておりましたが、こんな感じのカスタムです。


まず、左袖のボタンを一つ変えてます。
カーハートのチェンジボタンも色々種類があるのですが、袖用の小さいボタンはあまり無く、探すのに苦労しました。


あと、前身頃の第一ボタンも『UNION MADE』と文字の入る、袖と同様のボタンに変えてます。
段返りなので、普段は全く見えません。完全に自己満足の世界です。

という事で、そもそもが結構ミリタリーとかワーク的なカスタムがしてあるジャケットなので、少し遊びでボタンも変えてみた次第です。
どちらのボタンも1910年~1920年くらいのやつかと思われます。



ちなみに、基本的にはこういった形の違うボタンを付けたりするカスタムはしない方がいいと思っています。(上記カスタムは例外的にやりました。)
ポータークラシックのパッチワークアイテムとかもボタンがバラバラだったりするのですが、一歩間違うと非常にダサくなる可能性があり、結構難しいカスタムだと思うからです。

よくオーダーのジャケットやシャツとかで、袖のボタンホールの色を一つだけ変えてみたりする方がいますが、そういうあからさまなやつはイケてない気がします。(外連味たっぷりな感じがして、どうも好きになれません。)
そういう意味だと、トムフォードがやっているようなボタンホールの色は変えずに、一個だけボタンホールを長くしたやつとかは上手いやり方だな~と思いますね。
まぁ簡単に言っちゃうと、分かる人だけ分かればいいわけで、自分からやたらとアピールするのは無粋だって事ですかね。

すいません、話がよくわからない感じになりました(笑)。


なお、今後やりたいボタンのカスタムとしては以下があります。

●銀色のメタルボタンのジャケットで、一つだけ同じ形の純銀のボタンを付ける。
●茶色の水牛ボタンのジャケットで、一つだけ同じ形、かつ似た色味の鼈甲ボタンを付ける。
●スーツの内ポケットのボタンだけ、スマイルマークのボタンにする。

書いてて思いましたが、私、ちょっとお洒落心が屈折してるかもしれませんね(苦笑)。

2014/09/05

おわりのはじまり。

最近、というか少し前から有名なセレクトショップ群の劣化をヒシヒシと感じます。

プラダのナイロンリュックをパクッてみたり、オリジナルのスーツなのにラルディーニ風のブートニエールを付けてみたり、明らかにシャンボールセリエをパクってみたり、、。
自分のところで扱っている、もしくは扱っていたブランドからパクるわけですから、あまりにも節操がない気がします。

アウトレットで粗悪な品質のものを売ったり、明らかにパクリと分かるようなものを売ったり、社内で異論は出ないのでしょうか。
あまりにも会社が大きくなり過ぎたので、異論が出てもかき消されるのかもしれませんが。

会社の存続や成長と、クリエイティブな事や筋の通った事を両立させるのは難しいんでしょう。株式会社ですし。
その証拠に、アローズはソブリンハウスやディストリクト、トゥモローランドはランドオブトゥモローといったように、クリエイティブなものは分離させています。

まぁみんながみんな高いものを買うわけではないし、ファッションにそこまで興味の無い人からしたら、上述のパクリ商品で十分なのかもしれません。
会社としてはセレクト商品よりもオリジナルを買ってもらった方が大きな利益になるんでしょうしね。

ですが、“セレクトショップ”を標榜する以上、やはり“本物をセレクトして売る”必要があるのではないかと思います。(ラルディーニとかシャンボールセリエが本物かどうかの話は別として。)
“本物”でファッションへの“夢”を見せる事が出来なくなったら、ますますファッション業界は先細りするのではないでしょうか。
だって、どこの街にもイオンがあり、そこにはユニクロがあって、セレクトショップのオリジナルとパッと見は大して変わらないアイテムが安価で売っているわけですから。

お客さんがセレクトショップに行ったとき、『な~んだ、ユニクロと大して変わりないじゃん。』と思うのか、『やっぱり良い物は違うな。頑張ってお金を貯めてこっちを買おう。』と思うのかは、セレクトショップの行く末を考えたとき、かなり大事な気がします。
昔の安かろう悪かろうのユニクロではなく、ある程度の品質やデザインが担保された最近のユニクロで育ってきた若者が、これからドンドン大人になっていくわけです。
その人たちに“本物”を提供して“夢”を見させなければ、もう“セレクトショップ”という業態としてはおしまいなのではないでしょうか。



という事で外野が偉そうな事を言いました。
最近あからさまなパクリ商品が増えたな~と感じたので、こういう事を書いた次第です。

2014/08/28

フラットな思考。

ひとつ前の投稿に絡んだ話。

ここ数年、ブランド品の値上げが目立ちます。
それについて皆さんが、各所で悲しみや憤りを持って書かれているのを目にしてきました。(実際私も少し前の投稿で書きましたし。)

そりゃあ、そうですよね。
今まで20万で買えたジョンロブが、いきなり『明日から24万です』とか言われたら、えっ?て感じますよ。

でも最近考えたんですが、これって単価が高いからそう感じるのかもしれません。

例えば、スーパーでいつも買っている砂糖なり小麦粉が100円から120円になっていたとします。
これ、普通の人は『あれ?ちょっと値上げした?』のように感じるくらいで、そのまま買うのではないでしょうか。

こういった考え方をすると、靴の値上げ等で正規の業者を批判したりしている人たちは、缶ジュースの値上げや食品の値上げでも同様に業者を批判しないと、筋が通っていないように思います。

まぁ値上げ率は一緒でも値上げ額が違うので、この考え方がおかしいという人もいるかもしれません。
でも輸入業者には輸入業者なりの事情があるし、嗜好品だからといって熱くなることなく、フラットに物事を見なきゃいかんな~と考えた次第です。



なんか、二つの投稿が続けて輸入業者よりの話になりましたが、関係者というわけではありません(笑)。

要は、輸入業者しかり、販売店の方しかり、相手を慮る事が大事だな~、という事です。
だって、自分が販売店の方だとして、接客したお客さんがブログで『個人輸入するから試着だけしてきました~☆』とか書いてるのを見つけたら、悲しいだろうなと思いますもん。

恥の概念。

昨晩、ジョンロブとかを現地で購入して日本に通販しているお店のホームページとかを色々見てました。
なんかどこのお店も、ジョンロブのホームページから転載した写真を普通に使っているんですね。

このご時世、売れればアリなのかもしれませんが、人の褌で相撲を取っているので、あまり好ましい商売じゃないですね。
だって、自分が正規の輸入業者をやっていたとして、写真家に頼んで綺麗に撮ってもらった商材写真を勝手に使われて、安く販売されたらたまったもんじゃないですよ。

あと、靴を海外から個人輸入するために日本の正規取扱店で試着してサイズを確認した、という事をブログ等に普通に書いてらっしゃる方もいます。
そういう事をするなとは言いませんが、大っぴらにするような話ではない気がします。

上記の通販のお店もそうなんですが、いずれもやっている行為としてはグレーじゃないですか。
それなのに堂々としているのは、恥の概念が薄れている、もしくは無いのかな~と感じます。

まぁ革関係は内外価格差が大きいですし、正規の業者によっては適正ではないような高価格を付けているのも知っています。
それでも、自分のやっている行為が筋の通ったものなのかどうか、一呼吸置いてから、全世界に公開した方がいいのではないでしょうか。

2014/08/14

外連味が無い感じに。

ちょっと頭の整理がてら、考えている事を散文的に。



結構前から、ファッションのこだわりが周囲に伝わってしまうのは、ファッションに無頓着な人以上に、ある意味ダサいんじゃないか、と考えています。

そりゃあ、ジャケット、パンツ、シャツなど、あらゆるもののサイズがぴったり合っていて、トレンドのアイテムを身に着けていれば、お洒落ですし、街で目を引きます。
例えば、スティレラティーノやラルディーニなどのジャケットに、裾幅をギリギリまで攻めて直したイタリア製のパンツを履いているような感じですかね。
悪くは無いんですけど、ファッションに興味の無い方からすると『がんばってるな~』とか思われるかもしれませんし、職場や酒場など、その人の生活圏内によっては『浮いている』ことになるかもしれません。

それってどうなんですかね。
雑誌ではそういったスタイルが持て囃されますし、洋服好きの集まりでは称賛されるかもしれません。
要はバランスだと思うんですが、自分自身の生活や人生に合致した洋服を着ているのか、たまに自問自答してみるべきなのかも。

私は昔から生意気に大人がいるようなバーとか鮨屋に行っていました。
そこで感じたのは、店内の景色に調和した上で、お洒落だったり粋を感じさせる大人って、服など身に着けているものがその人より前に出ていなかった、という事です。あくまで、その本人が主役というか、、うまく表現できないですけど。



という事で、また何を言っているのか分からなくなってきたので、ここらでやめておきます(笑)。

2014/07/16

裸の王様。

30歳に突入してしばらく経ちました。(といっても30歳8ヶ月くらいですけど。)

最近思うのは、誰からも怒られたり指摘されなくなってきたな、という事です。
まぁこの歳になると、他人の冠婚葬祭のマナーが間違っていようと、食事の仕方が間違っていようと、着ている洋服がダサかろうと、指摘はわざわざしませんよね。普通は。

私、ファッションが好きなので色々ネットを検索して、30代、40代、50代といった方々のファッションブログを読んだり、ツイッターを見たりします。
それで言い方は悪いですけど、私から見てダサいなとか思う方も正直いるんですよ。
でも、その方のブログのコメント欄とかを見ると、称賛のコメントが溢れています。
恐らく、使えるお金も若いころと比べて増えたので、洋服屋さんでも良い扱いを受けているのでしょう。
ダサいと直接否定されることはそうそう無いんじゃないでしょうか。

個人的には、こういうイエスマンばかりが周りにいる状況はすごく怖いなと思います。
何故かと言えば、裸の王様になる可能性があるからです。

知人の会社の担当営業で、知人の前で冠婚葬祭のマナーを間違ったばかりに、黙って担当を外された人がいます。
鮨屋で半可通な薀蓄を大声で語ったり、バーでお酒の飲み方が分かっておらず迷惑をかけたりして、嫌われる人がいます。
どう見てもダサい服装で、ある程度のドレスコードが求められる場所に平気で入って顰蹙を買う人がいます。

そりゃあいい歳した大人のやり取りですから、よっぽどひどいか、よっぽど親しくなければ、直接指摘はされません。
特に食事をする店や洋服屋さんなんかは相手はお客様ですから、基本的には笑顔で対応してくれます。(苦笑いかもしれませんが。)

でも、そういう指摘を受けずに裸の王様化した人は、裏では明確に区別されてしまうのが現実なのかなと思います。
私の知るいくつかの鮨屋は、いい歳して無粋な客や、物の分かっていない客には、良い物は出さなかったりします。
そういう区別を否定する方もいますが、シンコとか面倒臭い割に利益の上がらない、しかも数の限られたものをそういう客に出すと、おかわりとかして食べつくされたりするんですよ。実際。

まぁ適当に色々と書きましたけど、結論としてはですね、指摘してくれる人がいるような環境に身を置くのが大事だと思います。
別にそれは誰でもいいと思うんです。
ファッションに全然興味の無い昔の友人に『お前、そのジャケット全然似合ってないぞ』とか言われるのが良いのかなと。

最近、洋服屋だろうと床屋だろうと、どこへ行っても自分より若い店員ばかりで『そのブーツお洒落ですね』とか『今日の服装、かっこいいですね』とか言われる事が多くなり、これは恐ろしいと思ってこんな事を書きました(笑)。

2014/06/30

すじをとおす。

二連続で愚痴っぽい投稿となりましたが、論旨としては“そのとき売れればいいみたいな感じの接客はやめた方がいいよ”って事です。
まぁそのとき売れればいいと意識してやっていればまだマシで、無意識にやっていた場合は救いがないですがね。。

昨年から今年にかけて、革関係のブランドや商品が軒並み値上げとなりました。
エルメス、ベルルッティ、ジョンロブ、エドワードグリーン、、、。
正直、値上げは別にいいんです。それはそのブランドの台所事情か戦略によるものでしょうから。
私が気になるのは店員の値上げに対しての言い方です。

『タンナーが軒並み廃業していて、、』
『革の値段が高騰していて、、』

こういう言い方なのに、シューツリーを値上げしていたりすると、この店員はどう説明するつもりだろうとか気になります。(大人なので聞きませんけどね。)

『内外価格差の調整で、、』

こういう言い方なのに、相場が逆になったときに値下げしなかったりすると、この店員はどう説明するつもりだろうとか気になります。
私が知る限り、2009年にユーロ相場を鑑みて値下げしたウエストンは稀有な例で、ブランドの稼ぎ場である日本では値上げするばかりなのが普通でしょう。

上述しましたが、値上げは別にいいので、私個人としては高額なお金を払うブランドにはうまく夢を見させてほしいなと思います。
稼いだお金は気分よく使いたいものですしね。

かたるにおちる。

今度は、とある地方のセレクトショップの話。

そちらのお店、中堅的なブランドをセレクトして売っていました。
お店の方はブログも書いていて、普段それらのブランドに対して『品質も良く、長く愛用できる商品です!』のように書いていました。

さて、そのお店が少し前からオリジナル商品をこだわって作り始めました。
こだわったからか、セレクトしているブランドの商品より高くなってしまいました。
それは全く問題ありません。
問題はブログでの勧め方です。

『まともに作ったら普通はこの値段になります!長く愛用できるものはこのくらいの品質でなければ!』

これって矛盾というか、自分の店のセレクトを否定するものではないですかね(苦笑)。
洋服屋や時計屋などのブログは結構色々見るのですが、値上げの多い昨今、その時々で都合のいいことを書くのはいかがなものでしょう。

だれがわるいのか。

とある地方のトムブラウンの取り扱い店の話。

以前もこのブログで書いた気がしますが、現在のトムブラウンの靴は既にトリッカーズ製じゃないのに、トリッカーズ製とHPに記載して販売していた。
そのお店、トリッカーズ自体も扱っているのに差が分からないようで、HPでの記載を改める気配が無かった。
そしたら全然売れていなくて『おっ、みんな意外とモノが分かってるんだな』と上から目線で在庫状況をウォッチしていたのだが、一昨日からのセールで完売していた。。

店が悪いのか、審美眼の無い客が悪いのか。

トリッカーズだと思って買った客は不幸な気もするが、若い人だったらそれも良い経験なのかな。。

2014/06/23

セオリーを疑って、満点を超える。

ベルトと靴のコンビネーションについて色々と考えている。

昔からクラシックな世界では、ベルトと靴は同じ素材にするのが最高と言われている。
私もこれまで読んできたファッション書籍や、洋服屋の店員の話から、それが当然と思ってきた。
よくあるのはオールデンのコードバン靴を履いて、同じ素材のコードバンベルトを巻いて、さらに同じ素材のコードバン鞄を持つ、とかいう感じ。
そのため、それをセオリーとして疑う事も無かったし、実際に自分も少し前の自撮りであるようにジョンロブのミュージアムカーフでベルトと靴を揃えた。

しかし最近、それではどこまで突き抜けても満点しか取れないのではないかと考えている。
人間の知性というか想像力はもっと高く飛べるのではないだろうか。

今考えているのは、前に紹介したマルモラーダと合わせるため、ベルルッティでラピィエセルプリゼのベルトを買って同じ色味でパティーヌしつつ、先端のカリグラフィー部分だけ少し違う色味でパティーヌしてもらう、という事だ。(ラピィエセルプリゼは廃番だし、パティーヌの色味も自由ではなくなったらしいですがね。)

実際のところ、ビジネスなど満点が求められる場もあると思うが、セオリーを疑って満点以上を目指したい。

ベルトと靴のブランドは一緒の必要はあるんだろうか。
ベルトと靴の素材は一緒の必要はあるんだろうか。
ベルトと靴の色味は一緒の必要はあるんだろうか。
ベルトの穴は5つでいいんだろうか。
ベルトの穴は真ん中でするのがいいんだろうか。
ベルトと靴のバックルの色、形は同じがいいんだろうか。

知性の発露。

数年前から洋服を着る上でテーマとしている事があります。
言葉にすれば『知性の発露』とでも言いましょうか。
一例を挙げれば、何の変哲もないけれど超上質な素材を使ったセーターを着ているときに滲み出る品性、といった感じですかね。(安直な例ですが。)

小学校6年生でファッションに目覚めてから、正直色々な服装をしてきました。
アメカジから、モード、興味の無い人から見たら、ちんどん屋に間違われるような服装もしたことがあります。
そんな紆余曲折を経て今目指すのは“高感度なごくごく一部の分かる人だけに分かる、圧倒的な普通の服装+α”です。

いつも白いシャツを袖口や襟が白いまま着る。
いつも綺麗に手入れされた靴を履く。
肩幅、身幅、袖丈、着丈があっているジャケットを着る。

まぁ色々表現は出来ますけど、普通の人が気にも留めないであろう点を異常に精度高くやりたいわけです。
普通の人から見れば、狂気ともいえる情熱をもって。

私がワインを語るときに使う表現ですが、100点満点で90点以上とかアバウトにではなく、1000点満点で980点以上を目指す感じです。(知らない人にとっては何を言っているか分からないと思いますが、ジャイエのクロパラントゥは990点以上の狂気をはらんだワインでした。)

それで、そこまでこだわった普通の服装に、これみよがしに見えないよう細心の注意を払いながら、ほんのひとさじだけスパイスを加える。
それは細部のハンドステッチなのかもしれませんし、ベルトのバックルと靴のバックルを同じ形状にする、といったものかもしれません。

結果として、品の良さ、頭の良さが滲み出ているのが理想で、そこに洒落っ気、茶目っ気、粋といったものが見え隠れしていれば素晴らしいですね。

まぁシンプルなセーターは別にユニクロでもいいわけですが、それを異常なコストを払ってロロピアーナのベビーカシミアのセーターまで突き抜けるのが人間の知性であり、意味のある行為だと考えます。

ちょっと概念的な話が多すぎましたが、最近はこんな事を考えながら洋服を選択し、着用しています。

2014/06/21

一流と二流。

最近ルクルトの調子が悪いため、購入した店舗に出しに行きました。
その時に起きた話。

私が調子が悪い旨を伝え、時計を手渡したところ、そのまま何も敷いていない、時計に傷が付く可能性のある机の上に起きました。
その後、時計を置くお盆を持ってきて置き直しました。
が、革ベルトを変に捻れた状態で置きました。
いつ捻れた状態を直すかなと思いましたが、直しませんでした。
なお、作業中は全て素手です。

とまぁこんな感じですが、二流のお店だなと感じました(笑)。
真面目な話をすれば、上記の時点で『この店に出すのやめようかな』と思いましたが、面倒なのでそのまま出しました。実際の作業はリシュモンがやるわけですしね。

いや〜、それにしてもこういうところで一流と二流以下の差が出ますね。対応して頂いた方は店長クラスっぽかったですが、それがこれでは終わってますね。

ちなみに修理の手続きが終わった後、店の時計を見せてもらいましたが、その時は最初から手袋、時計を置くお盆があり、丁寧に置いてました(苦笑)。

2014/01/19

匿名性をどこまで求めるか。

ラコステの胸のワニを取るか否か。
リーバイスのアーキュエイトステッチを取るか否か。
デニムの腰のパッチは取るか否か。
ニューバランスのNマークや、ナイキのスウォッシュを取るか否か。(これは最近少し話題になっていたようですね。)

まぁ適度に匿名性を求めるのが良いかと。。
個人的にはNマークを取ったり、ラコステのワニを取るのはやり過ぎな気がします(笑)。